2005年05月16日

豊かさと給料の意味

ある働き者の日本人が出張で南の島に来ました。
彼は働きに働き、寝る時間もありませんでした。

自分が必死で働いているそばで、島の人はのんびりごろごろしています。
それを見てイライラした日本人は言いました。

日本人:「何故君たちは一生懸命働かないんだ!?」

島の人は言いました。

島の人:「じゃあなんでそんなに働くんだい?」

日本人:「そりゃあお金が入るからさ」

島の人:「そんなにお金を稼いでどうするんだい?」

日本人:「そしたら、海外旅行にだって行けるさ!」

島の人:「行ってどうするんだい?」

日本人:「南の島にでも行って、のんびりごろごろできるさ」

島の人:「今、してるよ」





給料の意味って何?

ある人は言った。「仕事はきついし、激務だろ?クレームだって来るし。精神的苦痛に対する補償みたいなもんだろ?」


給料の意味って何?

別の人は言った。「そりゃあ、お礼の一つの形だよ。相手が喜んだり、助けてあげたりして、その分が給料になっているんだよ。」


皆が考える給料ってどんなものかなぁ。上の2つだったらどっちかな。食ってくためのもの、多ければ多いほどいい。色々あると思います。

お金をたくさん稼いでいる、つまり、物質的豊かさを強く求めると、他の色んな事を失っている気がする。大切な人との時間。仕事以外の趣味。仕事が趣味や会話の中心になってる人って多いと思う。色んな精神的豊かさが減っているんではないかなぁ。

一方、お金を適度に稼いでいる、つまり労働時間が少なく使える時間が多い人って、精神的豊かさが多いと思う。


自分達って、精神的豊かさを売って、物質的豊かさを買っているのでは…?


僕らの日本という社会は、物質的豊かさという価値観に支配されているのかな。

例えば、極端な話、元々家を立派にすること自体誰も考えなければ、家賃やマイホーム購入代なんていらない。その分にかける時間を、有意義に精神的豊かさの充実にあてられる。プラズマテレビだって、価値がないって思えば、誰も欲しくない。

周りが皆、物質的豊かさを重視してると、社会の価値観がそうであると、考える余地もなく染まって陥ってしまう。

決まりきった価値観がなければ、代わりの価値観を自分で、自分なりのものを生み出そうとする。そのこと自体が精神的に豊かであると思う。



勿論、仕事が苦痛で給料も低ければ、それは自己実現ができている可能性が低い。
ただ、仕事が楽しくてお金が多いことが、精神的に豊かであるとはいえない。
代わりに何かを失っている気がする。

それは、世の中に沢山ある精神的豊かさを構成するごく一部の仕事にのみ力が入りすぎていいるのかも。

何が豊かって、豊かさのバランスの問題なのかもしれないね。


@人が100時間働いて手に入れた、ある世界での100という価値。
A人が10時間働いて手に入れた、別の世界での100という価値。

同じ100という価値(価格ではない)…なのに90時間の差は何なのだろうか?


@働きまくって、そのお金でゲーセンやカラオケに行く、100の価値。
A適度に働き、お金は少ないが、家族や大切な人と話したりゆっくりする100の価値。


@は、精神的豊かさを削った分を、一生懸命埋め合わせてるみたいだね。価値観への思考停止のようだ。
Aは、削った分が少ないから、その豊かな時間で何かができ、何かが考えられる。


最初の例の日本人は@のようで、島の人はAのようだよね。多くの日本人は、お金を稼ぐことと本質的な豊かさを、混同していて本質が見えていない。だいぶ前から騒がれているのに、目の前の物質的な豊かさに未だとらわれているから。こればっかりは、もう直しようがないんだろうね。
物を求めすぎたその代償を、精神的な豊かさの代償を、精神的豊かさで埋め合わせようとしている。それって結局プラスにはならないよね。でも、元々失っていなければ無理に求める必要もない。


最初の給料の話。

給料=(補償としての給料)+(お礼としての給料)

だとしたら?





補償としての給料なんていらない。

お礼としての給料があれば、それでいいんじゃない?
posted by ぺんぎん at 21:53| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 考えてみた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月13日

言い方

「すみません」と「ありがとう」

何気に混同して使ってませんか?
おれは、何か会社であると、ついつい「すみません」って言っちゃってたんよ〜。しかも、びびりだから小声でぼそっと…。絶対最後の方聞こえてないわ〜。「すみま…」ぐらい。

でも、すみませんはこれからは止めるのだ!

例えば、先輩に何かを教えてもらって、うまく出来なかったり理解できなかった時。ついつい、「だめだなーおれ」って思って、教えてくれた先輩に申し訳なくって「すみません」って言っちゃう。

例えば、狭い通路を通る時、反対側から歩いてきた人が道を譲ってくれる。譲ってもらって何だか悪くて「すみません」って言っちゃう。

でも、「すみません」って言われた方の気持ちは??

何だか微妙だよね〜。確実にすがすがしくはないし、別に嬉しくもない。逆に、「いやいや、いいんだよ」って気を使わせてしまうかもしれない。教えてくれた先輩は、「教え方がまずかったかなー」って思ってしまうかもしれない。

だから、代わりに「ありがとう」を頑張るのだ!

大切なのは、自分が出来ないことや理解できないことより、教えてくれたことへの感謝の気持ち!道を譲ってくれたことへの感謝の気持ち!確かに、すみませんって言いやすいし、自然と口に出ちゃうかも。でも、それって本心じゃなくって、その場を取り繕うためだけの言葉の時もあるんじゃない?鼻毛レベルのどうでも良さだよね。

言われた方だって、絶対そうした甲斐があったって思うはず!嬉しくないことなんてない。

今更って感じのキレイ事だけど、改めて今日思いました。

「はっきりと明確に適切に自分の気持ちを伝える」どれもできねーよ(><;)
posted by ぺんぎん at 23:35| ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 考えてみた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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